シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

OB会前夜

最近,居酒屋で飲む機会があると,その勢いで書いている.今日は(明日もだが)大学の水泳部のOB会だ.同窓会には行ったことがないのだが,OB会はたいてい行っている.とはいえ,札幌でやるからなのだが,ひさしぶりに会った友人が,何を考え,何をして,どう変ったかが面白い.


みんなの日常を聞く,そして,聞かれる.聞くのも面白いが,聞かれて,ハッとすることもある.自分のやっていることを人に語ろうとするとき,始めてその意味が分かる,という経験をした.


ところで,ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージを読んでいる.ダーウィンの研究の情熱を知りたいと思ったからだ.それから,研究を「仕事」にしたいわけど,研究で食っていくということは研究も「労働」だということだ.そんなことを考えていて,人間の条件 (ちくま学芸文庫)をふと書店で手にとってつい魅きこまれた.考えていたことと同じことが書いてあったからだ.


今,論文を再々投稿の準備中である.今後,どこで何の研究をするのか,できるのか,巡り会えるのか,不明だが,論文を公表することで,はじめて,「自分の仕事は,コレコレコウイウ仕事で,成果はコウイウ形で発表しました,と言える.


この仕事の成果で,博士になれる.それから,職業研究者として免許皆伝である.とにかく博士がないと,研究できない.かといって,博士をとっても,研究できるとはかぎらない.それは,研究で食えるか,という問題があるからだ.


先のアーレントを今日読みかじったところ,この労働と仕事の違いという考え方に,ハッとしたわけである.彼女は,人間の活動を三つに分けて考えている.「労働(レイバー)」「仕事(ワーク)」「活動(アクション)」の三つだ.


今日,仕事と労働は区別されない.だが,労働は,生命維持のためのものをつくり,仕事は個体の生命を越えて,つまり,自分が死んでも残るものをつくる点で異なる.それから,活動という言論において自由が生まれる.


研究は,仕事と活動が主である.だが,研究で食うということは,研究は労働でもある,ということ


仕事と労働の違いというアイデアに,アーレントは,タイプライターと台所を見て気づいたそうである.研究者としては,仕事が先であり,労働は二の次である.仕事と言論はいい勝負をするが,自然科学者としては,仕事がまずある.優先順位としては,仕事,活動,労働である.


一般に,動物の行動は,主に労働である.そして,ときに仕事で,活動はほとんどしない.そう考えられている.人間と異なる動物の行動の研究は,「ほんとうに動物は労働しかしないのか?」という質問をしているのである.


仕事と活動が,大量消費と結びついた労働に比べて過小評価されていることに対するアーレントの危機意識と,僕の問題意識が重なったように感じたわけだった.