シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

問題の定位が何よりも大事

人生のレベルは問いのレベルで決まる。

某Sん台予備校の英語教師Oもて先生が言っていたのだけれども、浪人していたころから10年たった今でもずしんとくる。以下の記事を見かけて再度思い出した言葉。

自分の考える世界観があり、そのパースペクティブ、ビューポイントに基づいてこういうことが言えるはずだ、あるいはこういうことを言えば意味(インパクト)があるというメッセージがまずある。これはぶわっとした話ではなく、もう論文のタイトルと言って良いレベルで決まっている。

圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing

「ぶわっとした話ではなく、もう論文のタイトルといって良いレベル」という部分がきっかけになった。いつも頭の中にそうしたタイトルを思い浮かべる。思い浮かべるだけでなくて、書かないといけない。

実は去年の春ころから雑記ノートをつけていて、他の人のセミナーを聞くとき、自分が発表するとき、問題意識駆動で、仮説思考駆動行動出力駆動でやっていくことを強く意識し始めた。かっこよく言うと思索ノート的なものを実験ノートとは別につくった。この三段階がループを形成する。

ふりかえって、実は今論文でまとめている成果はこうした行動と相関しているように思う。はずかしながら、博士課程3年目になってから(去年)、急速に結果が出始めた。

「どうすればよいか」にとらわれがちだけど、実は「何が問題か」のほうが優先されるべきなのだ。どうするかは、その問題意識が駆動する。そこから仮説思考、行動出力の過程を経ることで決まって行く。

この図式は、行動制御の基本的なスキームでもある。解くべき問題の多くは、解答はひとつではない。無限の解答があり得る。解答を絞り込むためには、“現実的”な前提条件が必要になるのだが、これは考えて得られる“観念的”なものではない。いくら考えても自分の身体に最適なゴルフ・スイングも、水泳のクロール・ストロークの最適な軌道は得られない。上のループがぐるぐると回り続けないといけないのだ。

学部卒論、修論、博士の途中までは、どうすればいいか、やってみなければ分からないというだけのアプローチだけだった。実際、それは実験・解析技術を身につけるには有効だったけど結果がついてこなかった。ボスは「予断をもってかかってはいけない」とは言うけれども、今では予断はループをまわしながら修正すればいいのだと思っている。*1

*1:まぁ、でも、学部や修士の段階ではとにかく手を動かして身体で学ばないと、問題が定位できないのも事実。下手に興味を発散させないで、うでをまずは磨くほうが大事かも。どっちが大事なんだ、と言われそうだが、こういうと身も蓋もないが、要はバランスが一番大事ではある。