シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

それ以上のあるものとして与えられる

存在とか、認識とかを論じていると、与えられる対象としてよくリンゴが出て来たりする。あれ、何なんかな。与件がいきなりリンゴになるギャップ。まぁ、何でもいいんで、とりあえず、ということ。納豆でもいい。時間ないのにこりもせず廣松先生の本をまたひっぱりだしてきて読んでいる。そのせいで、こんなことを。。目の前の納豆を想像してごらん、と言われて、ほらっ、納豆はただの形象以上の何かとして与えられるでしょ、と云々というところを読んでいた。それ以上のあるもの、エトバスメーア。こんなこと言われると、すぐに実験できないかな、と考えられるので、楽しいのは楽しい。それぞれの動物にとっても、あるものは、何かそれ以上のものとして与えられている。ユクスキュルもそんなことを言っていた。それ(与件、何でもいい、とりあえず、納豆)は行動志向的(behavior-oriented)なものとして、ある種のトーンをもっていると。かきまぜるとか、醤油かけるとか、ネギをいれるとか、そういう行動のトーンを持っている。いろんな動物にとっても納豆の意味は変わる。このときの<意味>いうやつが問題だ。トーンとの関連で、僕はこの<意味>生成に行動志向的自発性が要になると思っていて、どう要になるか、そのふわふわした未定義な<意味>て何だというのは、とりあえず括弧にくくって、その他いろんなことを考えに入れずにとりあえず、自発的な行動がいかなるメカニズムで生じるか、それが問い。