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シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

形而上学へ踏み込んでいるという自覚

「原因と結果」と言ったとき、原因となる実体と結果となる実体を仮定している。実体というのが気持ち悪かったら単なるモノでもいいが、これは堂々巡り。たとえば、マッハが実体を仮定することなく、感覚をあらゆるモノを構成する要素と考えて、あらゆる出来事を感覚の函数的・機能的連関の総体としてとらえ直すべきだと書いていた。この時よりどころとする「感覚」というやつは、ふつうの意味で使う感覚ではなくて、もっと生物学的な文脈で使われる「感覚sensory」ということだ。そしてできるだけ簡潔に記述せよ、と。そのときに数学的記号を含めた言語で記述するわけだが、簡潔さ、正確さということであれば、数学的記号にまさるものはない。生命現象は複雑でなかなかそういう記述ができない。日常言語を交えるしかない。それは数学的記述よりも日常言語の方がスッキリ“理解”され易いからだ。考える負荷ができるだけ少ないほうが“よい”記述だから、日常言語が優先される。そういう言語活動、記述活動だとサイエンスを捉えれば、科学者は“ことばさがし”をしていることになる。自然科学といえどもこういう意味で形而上学に踏み込んでいる。対象としてのナマモノを扱っていること、事実(データ)をよりどころとすることは間違いないが、そうした言語活動、あるいは、思想活動に自分が与しているという自覚が必要なのだ。