シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

究極の目的は、幸福ってアリストテレスがいう

なんていわなくても、あたりまえのことなのだ、、が。こういう究極目的などの考え方はこうした目的論的世界観が土台になっている。目的志向性、制御された合目的性というのはいったい何のか、そんな浮世離れしたことを考えている。そんなことを考える人間は世の中にあまり必要ないのだろうし、のり口をしのぐのは難しい。ところで、はてな界隈では結婚話が盛り上がっているけれども、周りの知り合いが結婚ラッシュだけれども、誰だってそうしたのは幸せになりたいからで、それはまちがいない。可能性の数が自由だろうか。可能性がなくなり、失ったことをなげく不幸な者は、あとをたたない。生きる時間が残り少なくなれば、可能性は減る、という考えを盲目的に信じてはいないか。目的論的に生き物をみると、可能性をそぎ落とされながら究極目的(最高善)に吸い寄せられて行く。あれも、これもできる、のではなくて、けっきょくは、こうするしかない、のか。で、自由とはどういうことなのか。生物が振る舞う、その自発性はかなりシンプルなものたちにも存在する。そのevidenceを得ることに、僕は心を決めてあえて踏み込んだことを思い出す。