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シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

フツウの研究者がフツウに評価される社会を夢見る

俺みたいなフツウのプログラマもやれることはたくさんある。天才プログラマが切り開いた道を地道にならしていくような仕事というべきか。技術は、少数の天才だけでなく多数の無名の技術者の支えがないことには発展しない。そして、プログラミングをエンジニアリングの域に高めていくにはコンピュータサイエンスがしっかり研究しなければ。

フツウのプログラマがフツウに評価される社会を夢見る - kagamihogeのblog

そのまま、研究者にも当てはまる話だと思います。フツウに食えてフツウに寝床が確保できる生き方ができるようになりたいものです。フツウに結婚して、フツウに子供がいて、フツウに家庭が欲しいですよ。フツウに食う、食わせるということができるような社会を夢見ます。夢ですけど。


研究だって、面白くはないが、重要な研究であることはよくあります、いやそれどころか、ほとんどがそうだろうと思うのです。面白くないから手つかずのままになっている研究をすることで、誰かがその事実をもとにさらに面白い研究ができるということがあります。あるいは、サイエンス的には面白くないが、エンジアリングには使える事実ということだってあります。


そこでついでに言っておきたいことは、サイエンスはエンジニアリングのためだけにあるわけではないということです。たしかに、サイエンスとエンジニアリングは切っても切りはなせない関係にあります。サイエンスの知見がエンジアリングにも生かされる一方、逆もまた真なりです。こうした恊働関係があります。しかし、サイエンスはサイエンスのために、また、エンジアリングはエンジニアリングのために肥やしとなる成果を出さないと、それぞれがやせ細っていきます。


天才の大仕事によってのみサイエンスもまた支えられているわけではないのです。「それ、何になるの?」に対する答えとして、「サイエンスになる」という答えが市民権を得て、フツウに生きられる社会を夢見ています。