シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

廣松渉は見た目が9割

ホッテントリメーカーで遊んでいたら、上のようなタイトルが出たので、ヨタ考察的展開。上記タイトルはその生成結果だが、廣松先生の見た目に対するこだわりを感じていた。

たとえば、今読んでいる廣松先生の本の表紙。

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そして一部の目次の中身。

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各章で文字数が一定なのだ。これは、体系化に対するこだわりが表出したものだろうなと思っている。実際、体系化することに対する強迫観念をお持ちであったらしい。

それから廣松さん自身は、なぜか体系というobsession(強迫観念)に駆られてしまっていたわけですが、実は廣松さんの思考は、廣松さんが自らたてた体系にうまくまとまらないところもある。

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一方、宮台先生や池田先生にとっても憧れのヒトだったようだ。

私の大学時代と大学院時代は「廣松渉の時代」だった。東大に入学した78年に初めて聴講したが、壁際にも教壇の前にも立ち見がぎっしり。どんな答案でもAがつくと評判だったから、成績目当てで聴講する必要はない。神話的イメージゆえに人が集っていたのだ。

廣松渉先生を回顧する文章を書きました。 - MIYADAI.com Blog

私の人生で、だれにいちばん大きな影響を受けたかといえば、圧倒的に廣松である。私が大学に入った年は、彼がちょうど非常勤講師として駒場に来たときだった。

廣松渉 - 池田信夫 blog(旧館)

体裁を整えるとか、形式ばるという言葉は、悪い意味で使われることが多い。だが、考えることは、形式を整えるプロセスのことである。いやいや、イメージとかあるでしょ、と言われるかもしれないが、そうして消えて行くものを思考ではない。思考は何らかの情報を持っている。情報というのは、信号が一方向に流れるだけでは情報とはいえず、フィードバックされる回路の中で信号がある形式を表現してはじめて情報となる。言語は意識が外化されてそれが視覚や聴覚(あるいはときには触覚)などの感覚に対してフィードバックを形成する。だから、見た目を整えて形式化することが大事なのだ。