シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

「ウンコな議論」を読んだよ

ウンコな議論

ウンコな議論

一億総表現社会に向けて、読むとウンコな議論の効用にあずかれるかも。というのは、著者のフランクファートはけっしてウンコな議論をしてはいけないと主張していないからだ*1。そもそもそんなお下劣な言葉を本のタイトルにし、そのうえこの勝虫はタイトルにまでしてしまって何様だ!それでも明日のサイエンスをつくろうとする人間のいうことか!とお叱りを受けるかもしれない。すみません、でもこの本面白いのですよ。それに著者は高名なプリンストン大学の道徳哲学の教授なのだ*2


勝虫はニセ科学についての批判に対して、害を直接受けてもいないのなら、目くじらを立てて批判するのは野暮かなと最近は思っている。ニセ科学はここでいうウンコな議論に相当するだろう。ニセ科学的主張をする人にとって、用いる事実の真理値はどうでもいいからだ。製品を売りたかったり、あるいは政治的アピールをしたかったり、その目的は別にある。それにニセ科学批判は、ニセ科学というどうでもいい存在をネタにして自分をアピールしたいだけだとしたら、それはニセ科学と同じ、すなわち、ウンコな議論と同じ構造を持つ*3


さて、ウンコ、ウンコと連呼したので、もう読者は嫌気がさしてこれ以上読まれることはないだろうと思うが、勝虫はそう、ウンコな議論が前から気にかかっていた。事実と価値、ザインとゾレンの関係にはウンコな議論は考察に外せないなとつねづね思っていた。アラレちゃんはウンコを自在に操り人気を得たが、人々がウンコに興味を持つのは、ある意味“死”に興味があるからだ。我々をはじめ、すべての動物は負のエントロピーを食って生きていると言ったのはシュレディンガーだが、負のエントロピーを摂取するのは、便所でウンコをするときなのだ。つまり、ウンコは正のエントロピーであり、それは死を意味する。何の意味もない。さらにウンコな議論と“屁“理屈の関係については本書を参考にしていただくとして、いいかげんウンコな議論をまとめたいところだが、これもまとめずにウンコな議論なままにしておく。


*1:もちろん推奨しているわけでもない。

*2:だから、どうだということもない、ウンコな議論ではある。

*3:これもニセ科学批判批判というウンコな議論である。