シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

仮説を立てながら

仮説といっても堅苦しく考えないで「これって、こうなんじゃないか?」と思いながら生きるということ。ニセ科学を擁護するわけではないけれども、昨今のニセ科学批判とかその批判とかは、正直面白さがない。面白さを台無しにしてしまう危険性を感じる。科学という言葉を出すだけで一般には身構えてしまうものだと思う(お前が言うなだが)。


妄想だとか、タブーだと言われそうなら、口に出さなければいい。ヨタ話けっこうだと思う。こっそりブログで言ってみるのもいい。たとえば、仮説を立てながら町を出歩くとそれだけで楽しいもんだ。ホームズになりきったりして。ホームズだって憶測だらけ。帽子が大きいから頭脳も大きくて、知性が高い人物なんてのは、憶測もいいところだ。


科学研究の場では厳密さが求められるため口に出す部分というのが限られるが、頭の中ではつぎつぎと憶測が湧いて来ていい。それを公に口に出すと“それはスペッキュレーションだ!”と言われるから、もし出てしまったら、「ああ、これは言ってはいけない部類か」と学ぶべきだ。


僕もだんだんと言わないで考えるだけ、こっそりノートに書くだけのことが増えてきた。科学教育としても、とくに子供に対しては、もっと自由に憶測させるような夢物語のほうが豊かな思考ができるほうがいいと思う。中谷宇吉郎先生だって子供時代は西遊記に熱中した。


物語「はてしない物語」でファンタージェンという子供たちの夢によって育てられた世界が、虚無によって滅ぼされて行く、というのをイメージしてしまった。