シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

自由をおおきくしたがるヒト

そもそももっと自由になりたいという欲望を人は持っている。それは多分古来の種々の人族の中でそうした能力を持った我々の祖先が他の種族を駆逐したからなんだろう。


自由を奪う行為、強制に対して多くの人が反発する。“努力しろ”と言われて反発するのは、その言葉が命令形だからだ。精神論に対する反発も要するにこの強制というサブメッセージに対する反発である。「オレの自由を奪うな」と。


たしかに、リソース(ヒト、カネ、モノ、ジカンなど)がたっぷりある場合は、頭ごなしな精神論は効果がある。たとえば、学童期の教育、高度成長期の企業経営はその例なのだろう。

  • 勉強にせよ、スポーツ、芸術にせよモテにせよ、その達成の程度と言うのは(コンクールで優勝とか言う水準を狙わない限りは)ほとんど、どのくらい努力したかによって決まる。
  • 60年代から70年代当時の日本の賃金水準は欧米にくらべればずいぶんと低かった。 だから輸出中心の企業で見る限りは、欧米に対して相対的に人手は幾らでもあるという状況だったはずだ。
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だが、この成功体験が万病の薬のように思ってすべてに適用しようとすると失敗が起きる。リソースが少ないときに精神論で片付けようというのは、ようするに“さぼっている”。


ダメな水泳のコーチが怖そうな顔でにらみを利かせながらプールサイドで腕を組んでつったっているだけだったりするのと同じ事だ。


上にいる人のこのサボリには、下なりに対応しないといけないよなと思っている。自分の自由を最大にしようとする本能の声には従うしかない。この声は、運命でも弱い、宿命である。もっといえば、人という種に組み込まれた遺伝的プログラムである。もっと自由を!