シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

「面白い」て何だろうか

学問大系の物語には必ず穴があるはずだという思いで作り始めるのが重要です。人間がやるものである以上、かならず不備や、不完全な点があります。些末な問題点ならいいのですが、論文同士のつながりの悪さ、はぎれの悪さ、論理の飛躍には必ず、

  • 情報収集が不完全
  • 研究そのものが不完全 (←チャンス!)

という状況があるはずです。

研究テーマを探している学生のときに考えた事 | Lifehacking.jp

学問大系の穴はしかし、経験をつまないと見えてこないのが落とし穴だと思う。また、どの穴がもっとも「面白い」のかということを考え始めるとそもそも「面白い」とはどういうことだろうかということが気になってくる。学問は面白いから価値がある。

「面白い」と思うには経験がいる

教授が言う「面白い」と学生が言う「面白い」とではかなり違う。それはなぜか。「経験が違うから」と言ってしまえば身も蓋もないがそういうことだろう。学生が教授を追い越して経験値を上げることは不可能だしどうすればいいのだろうか。


要するに面白さはあとから分ってくる。初めから点をつなごうとしても駄目なのだ。あとからなら点はつなげる。「ああ、たしかに面白い」と。


サイエンスで面白い結果というのは、驚きの事実が発見されたときなわけだが、発見は予想できないから発見であって、面白い事実はあらかじめ考えられるようなことではない。せいぜい今分っている常識を押さえておくことしかできない。

「面白さ」と「実現可能性」のトレード・オフ

面白そうな研究計画書というのを書いてお金をもらわないと研究者は研究できない。そうなると未だ観ぬ面白そうな事実をでっち上げ、かつそれが実現できるという説得性を持たないとお金はもらえない。


そこで困ったことがある。面白そうな事実ほど実現できる説得性は落ちてしまう。というのは、そもそも面白い事実というのは予想が難しい驚きであるからだ。この矛盾をどう解決するかに研究計画というやつの難しさがあるだろう。


僕自身はまだ指導を受けている段階であり、自分で計画を書くという経験値が少ないわけだが、それでも自分の研究の方向性を考えるときにいつもこういうことを思う。

先輩の「面白い」に学ぶ

ではどうすれば面白いと思ってもらえる研究計画が語れるのか。自分が面白い思うこととどう折り合いをつけるか。


いつもやっていないといけないことは自分より経験のある人が「面白い」という瞬間を逃さないことだろう。そして「なぜ面白いのか」を考える。それが自分も面白いと思うならそれはそれでいいのだが、ピンとこないことの方が多い。


自分の面白いという思うことはとりあえず括弧でくくる。つぎに先輩が「面白い」と思っていること、思っていそうなことを「面白がって」やってみる。そのためには勉強が必要だ。前提知識がないと「面白がる」ことに失敗する。


この面白がってみるというのが難しいのだけど。