シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

意のままにしたいという罪

意のままにコンピュータを扱いたいという人はjkondo氏やnaoya氏のように「脳がコンピュータ、ネットに直接つながるときが来る」という想像をしたがるようだ。そのはてには脳が脳とつながり、今とはまったく違ったコミュニケーションができるようになると。

ただでは情報は手に入らない。そんな意のままにできるときが来るとして何かを引き換えにする。

実際に神経細胞からの記録を試みているとかなり遠い未来なら可能かもしれないなとは思う。だが、神経系とコンピュータはその設計原理が違いすぎる。

異質のものを接続するのは不自然にならざるをえない。そこでインターフェースが必要になる。何とかしてつなぐのが関の山なのだ。我々は生物が“どう情報処理するか”についてまだまだ無知すぎる。彼らの夢はまだ遠い。

コンピュータの設計はノイズを排除した厳密なコンデンサーという“要素一個”を小型化、高速化、集積化するという方針で進んでいる。生物は細胞という“ノイズを持った要素一個”が、多数化してノイズを減らし、冗長化する設計になっている。だから神経は束になっている。

生物は粗悪品を組み合わせてうまく機能している。要素が多数化するにはふたつのメリットがある。

  1. 多様化。できることが増える。
  2. 平均化。ノイズを軽減する。

とくに平均化にも力を入れているわけだ。入れ方が問題だが、コンピュータのようにいい素子を使って機能させるという仕方ではなく、悪くてもうまく集めて何とかする。これぞ真の設計ではないの。

たしかに分散コンピューティングというのがある。しかし、根元にある計算機の設計は変わらないために、エントロピーコストとしての熱が大量に放出される。MacBookで火事、という話があったがあれはそういう代償だ。MacBook Airはどのくらい熱くなるだろうか。

研究室にデータ・ストレージ用のサーバーがあるが、かなりの騒音と熱だ。数台あるだけでこれだけのコストがかかる。Googleの10億台とも言われるコンピュータはどれほどの化石燃料を消費し、熱を放出しているのだろう。実際Googleもエネルギー問題を抱えており、その活動をしている。

チープ革命とは言っても、情報はただでは手に入らないのだ。化石燃料というのは要するに太陽のエネルギーをネゲントロピーに変えた過去の生物の仕事である。車のように直接燃やしている場合はその使用感が少しは認識しやすいが、コンピューティングにかかるコストは気づきにくい。

エネルギー問題とはいうが、エントロピー問題とは言わない。我々がこの先どう“変化”していくのが“よい”のかと問うのであれば、保存されるエネルギーという観点だけではすまされないのだ。