シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパッチン研究者の記録

モスバーガーにて

マフラーをとり、注文し、番号札のついたスタンドを持ち、どこに座るか見回した。右手にパソコンで作業する学生、左手に30代のカップルが座っている、その間に座った。座ってぼーっとしても両隣の人たちに気を使わせるだろうと、カバンの中の文庫をまさぐった。とにかく、自分の空間を確保することだ。取り出した本は荘子の外篇である。
読み始めたが、となりから「・・・の言説は・・・」と聞こえてきて、固まった。その言葉を日常の会話で使うカップルは少なかろう。「・・・論破するには・・・」などとも言っている。
僕はと言えば、ことわざ「顰みに倣う*1」の典拠部分を読んで心の中で大爆笑していた*2
何か真剣な議論をそのカップルがしていたようではなかったが、本で読むだけの言葉を次から次へと使っているのを聞くにつけ、ニヤリという腹黒い笑いがこみ上げてくるのだった。
しかも使っているのはおもに女性だった。言説というのは、日常会話で、とくに女性はあまり使わない言葉だと思っていた。その僕の偏見をひとつ、壊してくれた。
偏見に気づくということは、ひとつの快感である。
そのとき、自分の持っている情報セットが再編集されるわけである。自分で見ようとしても、入ってくる情報は、ほとんど自分の思い込みによって脚色される。それどころか、見ようとしているものしか見えないことが多い。縛られた見方しか、我々にはできないものなのだ。
人とのコミュニケーションに価値があるとすれば、この再編集の快感が得られるということだろうなと思う。不意に聞き取っただけなので、コミュニケーションは成立してないが。

*1:考えずに真似ること。

*2:荘子というと堅そうなイメージがあるかもしれないが、抱腹絶倒の皮肉とレトリックのオンパレード。