シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパチン研究者の記録

科学って、黒船なのか…

=> ネットの言論はクズ
あまり関係ないようだけど、僕の父は団塊世代でもちょっとはずれた団塊だ。団塊世代というと、ある程度固まったイメージがネット言論にはあると思う。それは、クズバランスなのかもしれないなと思う。父が団塊世代なので、そう、僕は団塊ジュニアなわけで、自然科学を結構心の拠り所としている。父は、学生のときに「お前はどういう考えなんだ?」と左翼思想に迫られたわけだが、“私は流れます”と答えたという。“風潮”というモノに悩んだと言っていた。それで、日本を離れたわけだが、そのあたりの独自性というか流れた故に生じるであろう孤独と戦ってきたんだろうなと、尊敬している。
それで、自分はというと、流れる父とともに流れ、どこかの地域に住み着くわけでもなく、あちこち流れてきた。で、今は自然科学やっているわけだが、自然科学にも“風潮”というやつはあるもので、各業界で政治的な駆け引きに疲弊して自然科学どころではないという状態はまちがいなくある。そういう“風潮”に巻き込まれそうになったら、たぶん、僕も“流れる”。幸い、科学というのは、その人のエトス、パトスよりもロゴスが説得力を持ち、力を持つ世界である、と思う。もちろん、エトスもパトスもないといけない。しかし、なによりも圧倒的なデータに基づいたロゴスに重きを置くというのが科学だ。下克上も原理上は可能だ。もっとも、それができないような科学の体制になっている気もするが。
Googleもまさに圧倒的なデータに基づいたロゴスがパワーも持っているという意味で、サイエンス的だなと思っていた。自然科学そのものであるというのは、違う気もするが、Googleの「政治的になるな、データを重視しろ」の姿勢は、まさにそれだと思った。これが、エトスとパトスだけに基づいた力を崩す、というはあり得る。
“風潮”の中でうまく生きるには、ある程度風潮からスルリと流れて行かないと、どんな風潮もおごれる者は久しからずで、生きて行くことができない気がしている。そこには、id:finalventさんの言う孤独があるのかなと、思ったり。で、ネットに何かを書くのはクズでも「誰かが読んでくれている」それ以上の何かは、自分にはないな。
はてなは子供の砂場の遊び場、か…なるほどねぇ、確かにそうかもな。しかし、砂場であれだけ楽しく遊べる子供の創造力とみずみずしい感性から学べない大人は、圧倒的に子供に負けている気がするよ。