シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパチン研究者の記録

自殺してはいけないのはなぜか?

どこまで情報化されてるか?

自分というのは、情報になっていない部分の方が多いのだ。要するに感覚されないところ。自殺というのは、人間特有だと思う*1。自殺が増えたのと情報に溢れた(と錯覚しはじめた)のと関連があると思う。自分というのが、いわゆる個人情報というものとイコールだと思い始めたから自殺が増えたのではないか。しかし自分というものは情報になってない。情報にする技術はどんどん出てくるが、追いつくのは無理。たとえば、内蔵の状態は感覚できない。道具を使って情報にはできるが、すべてにはなりえない。いつのまにか細胞は入れ代わり、生まれている。健康な人でも、癌細胞もつくられては、壊されている。バランスが崩れたときに癌が広まる。死ぬということに決定的なものでさえ、必死に情報化し制御しようとしているが、なんともなってないのである。

自分というのは何?

生き物を解剖していると、これは当り前のことなのだが、解剖を経験しても「生きているというのはどういうことなのかな?」と疑問に思って考えてみないと分らないことなのかもしれない。たしかに、「自分が自分であること」を知るのは記憶(情報)があるからなのだが、自分でなくなることなんてしょっちゅうある。寝ているときは、たとえばそうだ。でも、周りから見れば、その人はその人である。まぁ、これも記憶があるからなのだが、多くの場合はより頼りない記憶でしかない。

意識のぼらないもの

人間の行動はいわば経験(記憶)という表示と固有の性質*2が、なんらかのメカニズムによる過程を経て*3、最終共通経路final common pathway*4である筋肉による運動、それがある文脈のおける「行動」として表れるーーそれが、人間の行動である。自殺という行動もこれに含まれる。意識にのぼらないものは、情報にならないもので、言語化されないものと言ってもいいかも。そういうところのほうが、圧倒的に大きい。なぜそれが分るか。それは、情報化していると分らないことがさらに増えていくし、疑問もさらに増えるという、研究特有の経験をすると分かる。要するに、「ああ、僕はちっぽけなもんだ」という、経験。だから、意識にのぼらないものがもっとたくさんあるということが、分かる。

複雑さの上にある均衡、道理

自殺してはいけないのは、そういう意識にのぼらないところが、たくさんあって、意識している自分を支えているからかな、と。でかいものを、ちっぽけな自分が壊すのは、道理に外れているというか。あと、実際に死ぬためには、道具を使わないといけない。舌を噛み切るのも歯を道具にしている。道具は、その意識されない体に比べたら、あまりに単純なものだ。単純なものが複雑なものを壊すのは、道理にあわない。これを卑怯という、と言ったのは養老先生だったか。環境問題もそうだ。人間がつくったあまりに単純なモノが、複雑さを壊滅させる、だから、道理に合わない。複雑で大きなものを、簡単なものが壊す資格はないのである。

*1:この辺データを知らない。

*2:遺伝的なもの、とか。

*3:この過程が抽象化だと考えている。

*4:「ただかっこつけたくて使ってみたかったんだろ?」というつっこみは正しい。