シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパチン研究者の記録

コンピュータは脳に似せているかもしれないが、脳はコンピュータに似せてない

当然の話だと思うのだが、脳、神経をコンピュータの類推で話してもいいが、脳はコンピュータではない。脳、脳って、脳だけ取り出して話をするのも、偏っている。人間も脳とイコールで語られることがある。されど脳かもしれないが、たかが脳だ。「人間=脳=コンピュータ」と捉えられることが多いけれども「人間>脳>コンピュータ」だ。考えるときに等式を使うのはいいけれども、それが当り前になると、その考えに縛られてしまう。

一応、現在の科学では、人間の脳は、コンピュータのようなものであるということになっている。しかし、当然フォン・ノイマン型のコンピュータ (現在の普通のコンピュータ) のアーキテクチャではない。もっと効率が良い方法で色々な作業を行うことができるのである。

論理的思考の放棄

「脳はコンピュータのようなもの」て、誰が言い出したんだろうか。自分を戒める意味でも、よく自分にも問う。コンピュータの類推で脳を決めつけていないかと。上の記事の本筋ではないが、気になったところだ。

上の記事は、要するに「頭の中で、階層を無闇に増やして、その上で行動しようとすると、アウトプットが遅くなりますよ」ということだろう。

だが、僕は、プログラミングや、その他の論理的な作業についても、超高性能な「感覚的思考機能」のほうを直接用いることにより、わざわざ脳内論理回路エミュレータを用いなくても、効率良く処理できるということを知っているので、そっちを使っているというだけである。

エミュレータというのは、まさにそういうことだろう。「感覚という要素に分解して考えよ」という感覚要素還元論を言ったのは、マッハで*1、生じた感覚というイメージに乗っ取ってそれをできるだけ素直に行動に移そう、そうすれば、下手に頭を悩まされることはないという。余計な偏見(フィルター)を通して感覚を抽象化してから行動に移すのではなくて、自分の持つ感覚を素直に使って行動に移せばいいのだよ、というメッセージだろう。
他人がどんどん増やした階層の上に何かをつくるのは、自分がつくる階層の上に何かをつくるのよりも、頭使うから疲れる。乳酸が溜る。だから、他人のメッセージで自分の中に無闇に階層をつくってしまうのは、よくない。自分が好きだと思える他人の思想なり、コードなり、言葉なり、道具なりを使って、楽に生きていこうよ、そういうふうに読んだ。
意見したいのは、脳はコンピュータではない、ただ、それだけ。

*1:[asin:4588000268:title]参照。