シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパチン研究者の記録

言葉が通じる島

感覚の私秘性によく似ているが異なる観念がある。我々は他人の感覚や体験を感じることが(原理的に)できない、という観念である。この観念と私秘性には微妙だが決定的な差違が存在する。
ウィトゲンシュタインはこう考えた?哲学的思考の全軌跡1912?1951 (講談社現代新書)

昨日考えていた「言葉のなわばり」については、ここで言われる私秘性を持った私的言語のことか感覚に関する人格間の絶対的隔壁のことなのか。この本の話だと、後者は一般性を持ち、前者については一般的私秘性というものは存在しないということから、独立の問題であると述べている。このふたつは、一般論なのかどうかで切り分けられているわけだが、どうも腑に落ちない。また考える。
「ビジネスの言葉を持ち込むな」というのは、「そもそも持ち込むことができない言葉を、空気も読めずにのたまうな」ということだから、後者の感覚に関する人格間の絶対的隔壁をずけずけと乗り越えるなということ。

実験は、私的言語が外界にも当てはまるという体験を求める行動だ。はじめは極めて各論だ。だが、行き着きたいのは、私的言語が外界に当てはまり、それが他人の私的言語として響くこと。支配感を求めている。