シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパチン研究者の記録

交点を求めよ

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)


純粋理性批判 上

純粋理性批判 上


高校の倫理の授業で出会ったカント。そして学部生の1年生、3年生のときに受けた新田先生の講義はカント倫理学であった。私を捉えて止まない「自由とは何か」という問題は高校で出会ってから、いくら他の事をやっていても錆のように心にへばりついている。水泳を一時辞めて頭を使う余裕が出てきた10代の中ごろからとなれば、その錆もかなりしつこい。
カントの入門書、他の書物での言及の中でカントの思索を探ってはきたが、原典を読まずしてどうするという思いから始めは岩波の方でチャレンジした。いや、チャレンジしている。この本は、ただでさえ難解な書物なのに、「〜するところの〜」とかの関係節の翻訳部分を頭の中でもう一回翻訳し直して考えたりする必要があるなど、とても読みにくいところがある。いや、訳者が悪いということではない。むしろ問題なのは、自分の経験の浅さからいわんとする抽象的な事柄がなかなか理解できずにいることだろう。一度通読したが、よく分からず、2度めはじっくりと進めようと思いつつも生物学の研究の合間ではなかなか進まずまだ100ページ足らずの状態だった。
2冊めの方は授業を受けた事のある新田先生も翻訳に加わっているが、宇都宮先生が訳されたものだ。北大の先生方が訳された純粋理性批判である。立ち読みしていてとても読みやすくしかも格調高い翻訳であるので、前からずっと欲しいなと思っていた。それを先日家の近くの古本屋で見つけたのだ。
つまり、今純粋理性批判についてはふたつの翻訳を持っている。ふたつの文章を読んでみると、そのふたつの視点から眺めた交点としてのカントの思索に少しでも近づくことができるのではないかと考えている。カントがこの純粋理性批判を書き上げるのにまる7年かかったという。であるならば、実質たかだか数年拾い読みのようにしてたところで、果たしてどれほどカントの思索をものにできるだろうか。一生ものだと思って取り組んでいこうと思う。カントは純粋理性批判で答えようとしたことというのは、「私は何を知りうるか」という問題だったと聞く。まずはここを抑えないと。自分が知りうる事の限界をカントはどう定めたのか。
当然、この純粋理性批判だけがカントの思索のすべてではない。他の批判書についてもこの次に読まねばならないと思っているが。まずは、ここから。インターネットではドイツ語の原文*1と英語の翻訳も存在する*2

*1:[http://gutenberg.spiegel.de/kant/krva/krva.htm:title=ドイツ語の全文]

*2:[http://philosophy.eserver.org/kant/critique-of-pure-reason.txt:title=英語の全文]