シャコ・エビ日記

シャコパンチ、エビパチン研究者の記録

情報が溢れる社会になったと言われる。その中で、自分が「知っていること」はどのくらいが「自分で知ったこと」で、どのくらいが「他人から教わったこと」なのか。ネットサーフィンをしていると、そこから得られる知識というやつは、そのほとんどが「他人から得る知識」であることに気づく。情報化社会って「自分で知る」ことの濃度が薄くなっている社会のことを言うんじゃないか。たしかに、あらゆるメディアから得られる知識というのは、きっかけにすぎないもので、それを基に生活し、知識は結局体験を通して得られるかもしれない。しかし、そんな体験にしても、「これについては、〜で見たな」というように、以前の知識を参照するが、それが「他人から教わったこと」になっていることが、格段に多くなったのではないかな。それは、自分が年齢を重ねてそうなってきたのかもしれないけれども。小さいころはそのように参照できる知識はなかった、たしかに。
「自分で知る」ということは、目の前にあるモノを触れて初めてできることだと思う。自分にこう命令してみようーーそのモノとか出来事は回りにあるもの、過去にあったそのものの履歴を参照して理解すること。決してそれは他人に教えてもらったことを参照してはいけないーーそのようにあえて目の前のものに向かって初めて「自分で知る」生のデータに出会える。これはかなり難しいことだ。しかし、どんどんいろいろな情報が溢れて、いろんなことを言う人が多い中、こうやって得られるローデータって、めちゃくちゃ貴重なんじゃないか。それは、単に自分だけにメリットがあるわけではない。そういう生のデータから得られた事実というのは、ちゃんと解釈され、事実になれば、社会にとって誰でも利用できる情報になる。ところが、今そういう姿勢がないと、実際「他人から得る知識」だけで生きていける社会になった、と思うのだ。だが、私は情報にまみれても、そうはなりたくないのだ。

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